『主婦論争を読む』学習会報告

上野千鶴子編『主婦論争を読むⅠ』『 〃 Ⅱ』(勁草書房1982年) 学習会
 (2016年5月22日(日曜)・ 7月17日(日曜))

 

私が専業主婦だったとき、漠然と「主婦」であるということに問題があるように感じていました。
じゃあいったい何が問題なのかというとよくわからない、漠然とした思いでした。

家事や育児はなくてはならない仕事であり、 それが大事な仕事だなどと言われると、当たり前すぎてかえって反発を感じるくらいでしたが、それでいて、自分に自信や誇りが持てませんでした。
多少外で働いてみても、大きくは何も変わらず、しかし経済的な問題が無関係だとも言い切れない…何をどう考えればよいのやら、霧のなかでした。

60年も前の「主婦論争」は、私のその当時の混乱そのままでした。
この60年間で社会は大変化を遂げたけれども、主婦の悩みや混乱にはまだ解決策が出されていないだけではなく、それがどういう悩みなのか、その正体すら明らかになっていないのではないでしょうか。
また、子育てはますます難しくなってきているように思います。

以下、学習会を終えての感想です。

最後に、参加者の感想も一部をご紹介します。

 

目次
(1)  主婦の生き方ってどうなのか?
(2)  主婦論争と、残された問題
(3)  自分の基準をつくるかどうかという問題

 

(1)  主婦の生き方ってどうなのか?

今回読んだ主婦論争は1955年から始まる。
私の母が結婚して主婦になる3年ほど前だ。

まだ家電もなくて家事に手間のかかった時代なのに、そのときすでに主婦という生き方について、これほどの論争があったというのは驚きだ。
60年代末期に主婦がマジョリティになるずっと前である。

 

当時、安い既製服がある訳でもなかったから、母は私と妹の服を縫い、初めて既成服を買ってもらったのは小学5年の時だった。
髪もずっと母に切ってもらっていて、散髪屋に初めて行ったのも、その頃だ。

また、父の仕事関係での主婦の役割も多かった。
たとえば、年始の挨拶といった特別な時に限らず、父が職場の同僚と飲みながら話すのも、自宅でだった。
社宅での主婦どうしの付き合いも、絶対に問題を起こしてはいけないと父にくぎを刺された上での、母の「仕事」だった。

つまり、当時主婦はたくさんの家事をこなし、家計をやりくりし、また「内助の功」にも励んだ。
主婦の仕事はなくてはならないものであり、母は生き生きと働いていた。

ところが、まだそれほど主婦が忙しかった時代に、主婦という生き方についての論争がこれほど盛り上がったのだ。
なぜだろうか。

まず、「主婦」という話題以前のこととして、この時代、戦中戦後の混乱を経験してきた人々が、まだ貧しい生活をなんとか成り立たせていこうという熱気があったのではないか。
反戦や反核、生活改善のための社会運動をしていた主婦が少なくなかったことも、この本で知った。

その背景の上で、はやり、その主婦論争の盛り上がりは、何よりも主婦自身が自分の生き方について、何かもやもやするものを抱えていたからだろう。
母も、私たち子どもが育ちあがるにつれて、自分の人生に焦りを感じていた。
戦後、職場と家庭の分断が進んでいく中で、男たちは当時の最大の問題であった「貧しさ」に、仕事を通して日々直接取り組んでいたのに対して、主婦たちには取り残された感もあったのではないか。
戦争中に、大家族の下、男も女も子どももなく総出で働いていたところから解放されたが、しかし、取り残された。

私自身も、子どもの服を縫う必要も、母ほどの内助の功も必要ない中で、やはり戸惑った。
今思えば不勉強なことだが、主婦ってどこへ行っても「お客様」だという焦燥感を抱えていた。

 

そもそも、一般庶民が社会的生産に直接関わらずに生きて、家事や育児に専念するという主婦の存在は、人類史上初である。
生産性が格段に上がったからだ。
先進国では、女も子どもも家族総出で働かなければ食べていけないほど生産性が低い時代を終えた。
また、高度経済成長時代、まだ家電も安いお惣菜もない時代にさらに生産性を上げるために、企業戦士を支えるための専業主婦という形が効率が高かったのだ。

その「主婦」の登場以来、私たちは戸惑っている。
その後日本社会は圧倒的に豊かになり、また女性の社会進出が進んで専業主婦は減り続けても、基本的な家庭の枠組みや、男女分業の意識に大きな変化はない。
また、娘として、主婦である母親との関係のあり方を模索する人も少なくない。

主婦の生き方にどんな問題があり、どんな解決策があるだろうか。

 

(2)  主婦論争と、残された問題

55年からの第一次主婦論争は、まず女性も職業を持ち、もっと張りを持って生きるべきだという問題提起から始まる。
女性の従属的地位からの解放のためにも、まず経済的自立が必要だと主張する、職場進出論派である。

それに対して、主婦の仕事の重要性を主張し、また他の職業と並べてお金の問題としては考えられないというような「神聖さ」を主張する派が対抗する。

当時の状況は、主婦も職業を持たざるを得ない階層があると同時に、職場進出などできないという状況の主婦が大半だった。
また、今現在もこの問題が解決された訳ではない。

この二派とは別に、主婦は、社会的な問題意識を高く持った市民として生きているという主張もあった。
そういう勢いもある時代だったのだ。

 

60年代の第二次主婦論争では、家事労働をきちんと経済的に評価すべきだという主張が登場し、社会保障として「主婦年金」を制度化すべきだという問題提起もなされる。

この「主婦年金」は、四半世紀後の86年になって、国民年金第三号被保険者制度として実現された。

共働き世帯は70年代から増え始め、90年代に専業主婦世帯数と拮抗し、2000年代に逆転した後、現在も増加中である。
「主婦年金」の是非が、今大きな問題だ。

しかし、家事労働がまだ大幅には産業化されず、また主婦がマジョリティであった60年代に、主婦の生活保障として「主婦年金」が提案されたこと自体は道理だったのだと学んだ。

 

70年代の第三次主婦論争では、「生産」よりも「生活」に価値を置く生き方が提唱される。

主婦こそ「生活」中心の解放された人間であるという主張には賛成できないが、男も「生活」中心に解放されるべきだという方向性はうなずける。

高度経済成長期の企業戦士の娘だった私の場合は、社会的生産がともかく第一で、それ以外の、例えば家庭のことなどは付け足しのような意識だった。
父だけがそういう意識だったのではなく、母も私も同じ意識にどっぷりつかっていたことを自覚していなかった。
それは大きな問題だったと思う。

しかし、では一体どう生きることが「生活」を重視する生き方なのか。
主婦論争の中には、まだその代案は無い。

 

なお、主婦論争を収録した今回の二冊のテキストの中で、子育ての問題を取り上げているのは梅棹忠夫だけだった。
それが奇異に思えた。
主婦の問題は、その労働の中心、子育てに集約して現れ、その問題をいかに解決していくかが問われるのではないか。

また、梅棹氏が半世紀余りも前に提起した母子一体化の問題は、その後深刻度を増し続け、現在も子育ての問題の核心だろう。

ただし、彼の解決案は、女性の「職場進出論」でしかなかった。
母子一体化の問題は、主婦による子育てに限った話ではない。
その後親子の一体化はさらに進み、子どもを自立させられないという問題は、主婦だけではなく、働く女性も含み、また父親をも含む問題となっている。

 

(3)  自分の基準をつくるかどうかという問題

「生活」を重視する生き方とは、自分自身の経験をもとに自分の考え方の基準をつくり、その基準を生きるという生き方ではないだろうか。

それは、主婦かどうかには関係がない。

むしろ、主婦という立場から基準をつくるべきだが、主婦に問題があるとすれば、そういう責任から一歩引いてしまうところにあるのではないか。
今回、参加者の一人の主婦が、自分は主婦だから夫や子どもを媒介としてしか社会と関わってこなかったと語った。
私自身もそう考えてきて、 そこには個人的な問題だけではなく、社会的な背景もある。
しかし、その一歩引いた捉え方自体を、私たちは克服していかなくてはならないのではないか。
それが今の私の答えだ。

 

夫が社会的生産を行う一方で、主婦として家庭を担っていた母の場合も、私の場合も、また、妻も職業を持つ場合も、単に社会的生産を第一義としてしまい、自分の立場からのものの見方をつくらないなら、家庭での問題を解決できない。
また、解決しようという過程は、自分の基準をつくっていく過程でなければならないのだとも言える。

そのことは、何よりも子育てにおいて問われるのだと思う。

例えば、子どもが学校や部活の基準に合わせなければならないと考えてくたびれ切っているのに、親が学校と全くの一枚岩で、子どもを追い詰めることがある。
また、子どもが本当に困っていることは、親の勉強についての心配などとはたいてい別のところにあり、またより厳しい困り方をしているように思う。
しかし、子ども自身も、親と一体化しているために、自分が本当に困っていることを本当に困っていることとして捉えることさえ難しい。

また、中学受験に失敗したと感じている子どもが、陰に陽に「リベンジ」を求められて、追い詰められることもある。
「偏差値」という基準に染め抜かれた子ども自身が、親の認識以上に傷付いているのに、その気持ちがきちんと受け止められることは少ないように思う。
受験の結果はよくなかったけれども、それは問題ないと言う親も多い。しかし、それでいて、親に「偏差値」以上の基準や価値観がなく、結局は受験の結果が絶対的なことだから、子どもの心は行き場がない。

親の価値観が多少とも更新されたときにはじめて、子どもは委縮から解放されて、自分の問題に取り組んで本来の力を発揮することもできるのではないか。

 

主婦も含めた親のやるべきことは、子どもの成長過程の中で、現実の具体的な問題に取り組むことを通して自分の価値観を更新し続けることではないか。

そうせざるを得ないような状況が、まさに子どもが苦しんでいることの中に現れている。
子どもが今どういう問題を抱えているのか、よく見なければならない。

でも、私の経験では、それは自分自身の問題を見ることを通してしかできない。
具体的な問題に取り組む中で、自身の問題にぶつかってはじめて、他者の抱えている問題にも少しずつ目が開かれていくように思う。

 

また、子育ては本来、子どもを媒介に社会と関わるのではなく、親が直接社会に関わる覚悟を持つべきことなのではないか。

もちろん、子育ての目的は子どもの自立であるから、そこに矛盾のある難しい課題だ。

しかし、まず、子育ての責任は親にある。

また、社会や学校と対等な立場にあるのは、子どもではなく、大人である親である。
例えば、子どもの学校と対等に話し合えるのは親だけである。
特に中学くらいまでは実質的には親が選択した学校であることからも、その学校にどういう問題があり、それをどう解決するのかといったことに関わる覚悟が必要だったのではないかと振り返る。
保護者として、ただ授業料を払うだけで、学校の言いなりなら、親の責任を果たしているとは言えないのではないか。

 

 

◆  参加者の感想より

<五月学習会>
主婦、Aさん

主婦業ほど様々に議論がなされる仕事もそう多くはないであろう。 石垣綾子は、主婦という立場を、「第二の職業」として厳しい目を向け、主婦の心がいかにふやけているか、「朝から晩まで、同じ仕事を永遠に繰り返している主婦は、精神的な成長を喰いとめられる。」ことによって、知的な鋭さを次第に失っていくなどと指摘し、主婦の仕事内容だけではなく、主婦の存在そのものを安易、怠慢だと批判している。この論文が書かれたのは、1955年のことだが、現在でも、生活が向上して、さらに時間的に余裕ができた主婦たちへの批判的な意見が消えることは無い。

私は専業主婦であるので、この文章を読んだ時には、そんなに批判をしなくてもと思いながらも、確実に自身の中に空虚感を抱えていることも否めないと思った。家事や育児は、社会に対しては大切な生産的仕事であるはずなのに、なぜ、社会に働きに出てものを生産することだけが自立であり、ものを消費する立場の主婦は、「男に寄りかかる。」ことになるのであろうか。

平塚らいてうは、「ものを作るのが人生の目的ではなく、消費されない限り生産の意義がない。」としている。しかし、大切なことは、単に、経済的に生産する、消費するということではないと思う。社会で働いて生産し(第一職業)、経済的に自立している主婦も、精神的に自立していなければ、「人間として生きて行く。」ことにはならない。

この家庭論学習会で学びたいと思っていることは、社会の一員である私の、主婦としてのこれからの人生の目的意識をはっきりとさせることである。そうすれば、建設的ではない消費に感じていた後ろめたさは少なくなるのではないか。また、主婦業が安易で怠慢だと言われても、自信を持って過ごすことができるのではないか。

 

<七月学習会>
主婦、Aさん

前回に引き続いて、今回も主婦という特殊な立場を掘り下げて考えた。その中でも、職業を持たない主婦は、武田京子によると、「自由で人間的な生き方をしている」らしい。それは、「働かないですむこと、なまけものであることを主体的に選んで生きている」から、というのが理由である。武田はさらに、「社会的生産労働など、まったくしないですむのがより理想に近いかもしれない。それは義務でしかないのであるから。」としている。さすがに、それは言い過ぎだと思うが、専業主婦が、「自由で人間的な生き方をしている」のであれば、羨まれるような立場であるはずなのだが、なぜ、専業主婦自身が自分たちの仕事や立場に疑問やコンプレックスを抱き、論争など起こるのであろうか。

専業主婦である私の場合、主婦の仕事のほとんどが子育て中心に回っていた。主婦の仕事=子育てだと思い込んでいた、と言っても過言ではない。武田の言う、「なまけものである」か、ないかは別問題として、「自由な生き方をしている」などとは、今までこれっぽっちも思ったことはない。むしろ、子供たちのことを優先して、自分のことは後回しにしてきたからである。そして、子供たちが巣立った今、私の仕事は一応終わったのであるが、働く女性であれば、定年時に支払われる退職金にあたるものが専業主婦にはない。退職金は、自分が社会で積み上げてきたことの証である。私が、今まで積み上げてきたものは何か。何もないのではないか。そこに、矛盾や疑問、やるせなさが溢れ出てくるのであろう。

これは、決して経済的な問題だけではない。子供と一体化し、依存し過ぎた結果、自分がないと感じている私の生き方の問題である。さらに、専業主婦だけではなく、働く主婦たちも子供に依存した生活を送っていれば、働く女性としての退職金は手にしても、主婦として何が残ったのか、と私と同じ疑問を持つのであろう。

主婦にとって退職金に当たるものは何か。主婦の仕事の証と言えるものは何か。それは、これから社会で活躍するであろう、成長した子供たちなのであろうか。

さらに、この先、主婦として、女性としてどう生きるのかという問題にも正解はない。自分自身の人生の過ごし方を探したい。

 

社会人ゼミ生、Bさん

主婦自身が自分を抑圧しているという武田論文の指摘が心に響いた。抑圧から抜け出そうと外に出ても、それで抑圧がなくなる訳ではない。

また、多くの論文が掲載された雑誌、『婦人公論』は、今は女性週刊誌の高級版のようになっているが、当時、主婦も投稿して本格的な論戦があり、また、マルクスを実際に読み、それをもとに意見を述べている人が多いことに驚き、おもしろかった。

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